親父のために・・・
2012年 06月 30日
そいつは間違いなく親父の影響なのである・・・
春は渓流で岩魚とヤマメを釣り、
夏が近づくと、鮎のはみ跡を探し、荒瀬から大鮎を抜き上げ、
秋も終わりになる頃は、いっつもコタツでケン付きまるせいご針で仕掛けを作り、海へと出かける。
冬はオラが起きるよりもずっと早くに家を出て、
夕方帰るなり台所でワカサギの唐揚げを作り、オラに熱々の出来たてを、食え!と差し出す。
年がら年中釣りに入り浸る親父は、今のオラから見ても間違いなく、筋金入りの釣り変態だったのである。
親父は釣りを知らない幼いオラに向かって、いつも熱く語るのだった。
「おとうはな、こいつがあそこに居るって、前から知ってだったのよ、んでもな、えらい賢いやつで、ちょっと身を乗り出しただげで気付かれて逃げられてだったんだ、今日は、身をこう低くしてな、草の蔭から覗いて狙ってやっと掛けたんだ、何回も岩の下に潜ろうとしてな、もうダメだ~って思った頃やっと浮いて来たったのよ。」
獲物を前に酒の入った親父は、身振り手振りを交え語り、最後は決まって、
「おめえもおっきぐなったら釣りっこやってみろ、やって見なきゃ面白さはわがらねもんだぞ。」
決まってそう言うのだった。
やがてオラは餌釣りを始め、数年が過ぎ社会人になって間もなく、フライフィッシングへと転向し、
キャッチアンドリリースと言い、釣りに魚籠を持って行かなくなったオラに親父は。
「なんぼ釣れだっつっても魚持って来なきゃ誰も信じられねんだじゃ、ほれ見ろ!このヤマメ、おめえの毛針でこんなの釣れるってが?」
親父は渓流にも鮎の曳舟を持って釣りに行くのだった、でかいやつが釣れれば1匹のみ、
中型なら数匹食う分のみを生かして持ち帰るのだが、オラが羨むほどのでかいヤマメを見せつける親父に。
「そったにでっかいヤマメなんて、食ったって美味くねえんだじゃ。」
そう強がるオラは内心、いつか必ず釣ってやる!と、密かに心を燃やし、親父をライバル視していたのだ。
そんな親父なのだが、一ヶ月以上前の事、白く巨大な建物の中の高い場所にある、小さな部屋へと入ったきりとなってしまったのだ。
「親父が入院した!」連絡を受け、病院へと駆けつけた。
点滴と酸素マスクを付け目をつぶる親父の手を取り、
「なんて格好してんのや、早ぐよぐなって家さかえるべし・・・」
オラの問いかけに親父は薄目を開け、小さくうなずくのみだった。
親父はCOPDという病気を患っていたのだ、慢性閉塞性肺疾患というやつ、別名たばこ病・・・
現在の医学力を持ってしても治療方法は無し、唯一あるとすれば禁煙のみ。
つまり、病気の進行を止めるしか方法は無いという恐ろしい病。
しかし、親父は家族と自分の健康を思い、40年も前にすでに禁煙していたのだ・・・
つまり、打つ手は無し・・・ということなのだ。
世話になってる掛かり付けの医者は、こう言ったらしい。
「たばことは恐ろしい物・・・何年過ぎようと吸ったたばこの影響は消えないのだ。40年前に禁煙していようと、COPDになる人はなるのだ、そして、肺炎にだけは絶対に気を付けろ、肺炎になれば、お前さんの命は無いぞ。」
肺炎球菌に感染しないために予防接種も受けた、5年は大丈夫だったはずなのだが・・・
不運はさらに続いた、体の不調を感じ、いつもの掛かり付けの医者へ訪ねたのだが、学会へ出席のため4~5日病院は休み。
やむなく行ったことのない病院へと受診したのだが、診断結果は単なる気管支炎。
親父は医者に肺炎ではないのか?と、確認したが、肺炎ではない、との診断に胸をなでおろし家へと帰ったのだ。
しかし、良くなるどころか、それから3日目にして立ち上がる事も出来なくなってしまったのだ。
明日になれば、いつもの病院が開くから、と、拒み続ける親父を無理矢理連れ出し、
救急で県立病院へと行き、即入院。
診断は・・・肺炎、それも我慢し続けたことでかなり強く感染してしまったらしい・・・
片方の肺がすっかり白くなったレントゲンを見せながら、主治医はいかに危険な状態か説明した。
そして、こうも言った・・・
「それにしても・・・この状態でレントゲン撮って気管支炎などとよく言えたもんだ、これを肺炎と思わない医者など医師と語る資格など無い!」
あの時点ですぐにここに来ていれば・・・オラも家族も一度行ったきりのあの医者を憎んだ。
数日後、病院食の粥を2~3口しか食えず、息を切らしながら、やっと会話出来る親父にそのことを伝え、あの医者に対する恨みの言葉を吐きまくった。
黙って聞いてた親父は息を整えゆっくりと言った・・・
「あの医者をそんなに悪ぐ言うもんじゃね、あの時、肺炎と言われでだったら、オラは卒倒して死んでだったべ。あの医者には助けられだのだ・・・」
この期に及んで頑固親父は何を言うか!そうは思ったが、心を落ち着けオラは言った。
『んでもな、あの時すぐにここに来たらば、こんなに酷くなってながったんだじゃ。』
すると親父は言った。
「いいが、よぐ聞け・・・オラが死ぬ運命だったなら、いつ何処に居ようがとっくに死んでだったはずだ、今こうして命が助かったのは神様が選んだ道なのだ、人の事をそんなに悪ぐ言うもんじゃね・・・」
納得など出来るわけはなかったのだが・・・親父がそう言うのなら、と、オラも家族も、もうそのことは口にしないことにしたべ。
病院に居ると、救急車のサイレンもしょっちゅう耳に付き、慣れっこになってしまったのだが、
親父がボソリと言った言葉もサイレンにかき消されてしまった・・・
オラは『なに?』と、聞き返し口元に耳を近づけたべ。
「ざっこ釣りさ行ってだが?」
『あ~、行ってだじゃ、この前なんか、こったにでっけえやつ釣れだんだじゃ。』
「ほ~、おめえの毛針なんぞに釣れるざっこ居るってが?」
『あだりめだって、今いっぺえ釣れる季節なんだじゃ。』
「んだが、外はいい季節だもんな・・・ヤマメ、食いてえなぁ・・・」
『・・・・・・』
思えば親父は数年前、オラ達家族に鮎の塩焼きを食わせようと、携帯酸素を持ってまで川へと出かけたのだ。
しかし、思わぬ大鮎が掛かり、バランスを崩し転倒、肉離れをおこし釣りへは行けない状態になってしまったのだ。
以来、オラは親父の為にと解禁間もなく、ヒカリ混じりでヤマメを年に1~2度届けていたのだが、
去年は震災の影響で、今年もなんとなく気が乗らずヒカリを狙いに行かなかったこともあり、ヤマメを届けずに居たことを思い出した。
『喋りすぎると疲れっから、少し休んでろ。』
オラはそういって、病院を後にしたべ・・・
オラは考えた、『一番近い川に行けば、今からでも少しは釣りする時間あるべ、1匹でもいいのだ、行ってみるべし!』
川に着くなりウエーダーを履き、つなぎっぱなしのロッドを車から出し、ウエーダーのベルトにコンビニの袋を3枚重ねて取り付けた。
日没間際の少しの時間、とにかく急いでつり上がったべ、ガバガバと水をけちらしながら上流へと、
有望なポイントのみ1~2度フライを流し、フォルスキャストしながら次のポイントへと急いだ。
幸い魚は良く出た、大物は強引に寄せ、即リリース、食い頃の中型が掛かるなり岸へと投げるように抜き上げ、
バタバタと暴れる魚を押さえ、コンビニ袋へと放り込む・・・
人には見られたくない釣りだったが、必死だったのだ、食事も食えない親父でも、魚だったら食ってくれるんじゃないかと思い・・・
3枚重ねたおかげで、コンビニ袋の取っ手はちぎれず耐えた。
夕闇に半分沈む河原で、魚をさばいたべ、暗い流れに流される、白く浮き立つ内蔵は、魚の魂が1つ、また1つと離れていくようで・・・
人は命を貰って生きるもの、んでも、人間の為に生きる生き物などいねえもんだ・・・
昔親父が言った言葉を思い出していたのだ・・・
次の日、オラは早速ヤマメの塩焼きを焼いた。
河原で拾ってきた石も一緒に焼いて。
カンカンに焼けた石をアルミホイルで2重に包み、その上に焼けたヤマメを乗せ、さらにアルミホイルで2重に包み、
タオル2枚でそいつを包み、親父の居る病室へと急いだ。
エレベーターの中は、焼けたヤマメの香ばしい香りが立ちこめ、居合わせた人はオラの持つ包みが気になったことだべ。
親父の病室に着くなり、ベットにテーブルをセットし、包みを開けて見せた。
タオルがきつね色に焦げるほど焼けた石のおかげで、ヤマメは熱々の湯気を立てていた。
「なんだ?ずいぶん早がったな、養殖もんじゃないべな?」
「何言ってんのや、昨日釣ってすぐさばいたがらうめえじゃ、ほれ、食ってみろ。」
オラは、頼む、食ってけろ・・・そう思いながら親父に箸を差し出した。
『どうだ?うめえが?』
「うめえ・・・」
そうは言った物の、箸は進まず・・・小振りなヤマメの半身も食わず、
「後はおめが食ってけろ・・・」
無理もない、体に酸素が回らない為、胃も腸も動きが悪く、食い物の味も判らないはずなのだ。
「昨日は釣れだったが?」
『あたりめえだって、でっけえやつも釣れだんだじゃ。んでも、でっけえやつは美味ぐねえがら、逃がしてきたじゃ。』
「おめえは釣っても逃がすっけがらな・・・大物はな、味じゃねえんだよ、体高がこったにあってな、生ぎでる大物は見事なもんだ、おめえに見せたくていっつも生かして持って来てだったのよ・・・ざっこ、まだあるんだば持ってこなくてもいい、退院した時の為に取ってでけろ、うめがったじゃ・・・」
オラは実家の倉庫にあるはずの曳舟と生かし魚籠を探して自分の車へと積み込んだべ・・・
そして、この日釣れた尺ヤマメをキープすることを許してけろ。
生きたまま親父に見せ、「退院したらこいつで祝うべし!」そう言うのだ。
ヤマメよ、オラの親父に元気を分けてけろ・・・
頼む!