本当の、”スカイライン”とは?・・・なのだ
2016年 03月 10日
オラはスバルの車が好きなのだ。
免許を取って、最初に買ったのが15万円ほどのOHVエンジンのレオーネだったのす。
地元の友達らには、「スバルの車になんかガソリン入れたくね~。」なんてバカにされたけどね。
それでもオラにとってはめんこいヤツだったべ。
以来、ずっとオラの車はスバルなのだ。
いや、もちろん車の乗り味も好きなのだが、スバルという会社自体が好きなのだよね・・・
30年ほども前なのだが、岩手から遠く離れた群馬の富士重工へと入社したのだ、
スバルの車作りに携わってみたいと思う訳があってね。
群馬って所はま~スバルばっか走ってたね。
特に太田市なんかは半分以上がスバル車だったんじゃないべか。
岩手じゃ東北電力か奇特なオッサンしかスバルに乗ってなかったからね、いや、そりゃちょっと大げさだけどね・・・
それほどスバル率の高さにビックリしたのだ。
職場にも慣れ始めた頃、新人歓迎会と称して飲み会が行われたのだよね。
時期的にどこの職場にもあるからだろうけど、群馬の飲み屋はチョ~賑やかだったね・・・
オラは飲み会というものが始めてで、こんなに騒がしいもんかと思ったけど、今思えばやっぱ尋常じゃなかったすよ。
どこの席からも「○○だんべ~!」「そうだんべ~!」と、だんべ~だんべ~と喧しかったと覚えているすよ。
岩手出身の大人しいオラは(いや、ホントだからね)そのパワフルさに付いていけずに、同じく東北出身の同期と怯える子猫のように端っこで飲んでいたのだよね。
同僚 「○○先輩、普段もうるせ~けど飲むとさらにうるさくなるっちゃね。」
オラ 「んだな、会話と言うより怒鳴りあいだな、まるで竹中直人の笑いながら怒る人みたいだね~。」
なんて言ったかどうかは知らんけど、そんな感じだったすよ・・・
やがて会が終わる頃、直属の上司がオラを呼んだのだ。
上司A 「おい、○○。S上司(ずっと上の凄い上司)が家に来て飲めって言ってるぞ。」
オラ 「え?オラなんかが行っちゃっても良いんですかね?」
先輩B 「おいおい、Sさんが家に新人呼ぶなんて滅多に無いことだぞ、おめ~気に入られたんべ~。」
先輩C 「Sさんの家にある酒は一番安くてもジョニ黒だからな、飲み過ぎんじゃね~ぞ!」
オラ 「ホントすか?オラはビールしか飲んだことないんですけど・・・」
そうして呼ばれたS上司の家には、オラなど明らかに場違いなほどのメンバーと、先輩数人が居たのだよね・・・
ふかふかの絨毯に足がS字に曲がったテーブルと皮張りのソファー、
天井には電球が上向きで、キラキラ光るガラスが数珠のようにぶら下がったたシャンデリアがあったのだ。
ガラス戸の奧にはコップやワイングラスと馬の首のキャップの洋酒ビンとかがいっぱい並んであった気がしたよ。
棚の上には何枚か写真があったのだ、そしてその中に一枚、零戦の写真が飾られていたのだ・・・
後ろでは、すでに出来上がった上司らが騒ぐ中、オラは凄い上司Sさんの前に行儀良く座って居たのだ。
凄い上司Sさんは、周りと違って標準語でしゃべるもんだから、余計に緊張したもんだす。
ありゃまるで、赤鬼青鬼の宴会の中で、えんま様に裁かれてるような図だったかもね・・・
たいして美味いとも感じない高いウイスキーの水割りをチビチビと飲みながら、
職場の話題にあいずちを打って聞いていたべ、来るんじゃなかったかな~と思いながら・・・
やがて、凄い上司Sさんは話題を変えてオラに聞いてきたのだ。
凄い上司S 「ところで・・・君のお父さんは零戦に乗っていたそうじゃないか。」
オラ 「あ、はい、そう聞いとります。」
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そう、親父は若い頃予科練へと志願したのだ。
予科練って知らない人もいるべね、海軍飛行予科練習生・・・略して予科練なのだ。
親父は予科練を経て零戦のパイロットとなったのだ。
一年ほど前に亡くなった親父だが、口癖のように
「オラの人生は神様に貰ったようなもんだ・・・」
そう言っていたのだ。
圧倒的な性能で驚異的な戦果を築き上げた零戦だったのだが、
戦争も後半になると材料や燃料の不足、敵国に零戦を完全な形で奪われたことで弱点を知られたこと、
そんなことも原因になってか、次第に劣勢になってしまったのだよね、あ、オラはその辺詳しくは知らないけど。
んで、親父は特攻隊として出撃することになったのだが、いざ!出撃!と言うときにポツダム宣言を受けたことで日本が敗戦したのだそうだ。
んだから、「神様に貰った人生だ・・・」と、言っていたのだよね。
だとすると、息子であるオラの人生も同じ事、零戦を作っていた富士重工で働いてみるのもありだべか・・・
なんて思ってたことも入社するきっかけの一つだったべ。
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凄い上司S 「それじゃあ、予科練で赤とんぼ(練習機)にも乗ったんじゃないかな?あれは中島飛行機で製造したやつだ。」
オラ 「そうなんすか?詳しくは聞いてないですけど。」
凄い上司S 「富士重工の前身が零戦を製造してた中島飛行機であることはもちろん知ってるよな?
中島飛行機と同じ系列でな、立川飛行機という会社があって、そこで赤とんぼを製造してたんだ。」
「立川飛行機は戦後まもなく別な会社になってしまったけどな・・・・・・スカイラインという車をしってるか?」
オラ 「え~と・・・日産のスカイラインのことですか?」
凄い上司S 「そうそう、あのスカイラインだよ、しかし最初は日産ではなくプリンススカイラインだったのだ。戦後の財閥解体令で中島飛行機は分断されてな、立川飛行機がプリンス自動車となり、スカイラインを製造したのだ。スカイラインは共に零戦を製造した同志が作り上げた車だったのだ。」
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そう、戦後の日本はマッカーサー率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、国力に相応しくない力を持った海軍と財閥を解体する命令を下したのだ。
零戦の生みの親の三菱も、中島飛行機も幾つもの企業に分断されたのだよね。
中島飛行機も幾つもの企業に分けられ、その内の一つが富士重工となり、プリンス自動車となったのだ。
知ってる人は知ってるだろうね、プリンススカイラインは1964年の日本グランプリで一周とはいえポルシェ904を抜いてトップに立ち、スカイライン伝説の始まりとなった車なのだよね。
プリンス自動車はその後に日産自動車へと吸収合併されたのだ、スカイラインの初代はプリンス自動車からだったのだ。
この辺の情報はオラも詳しくないので調べながらなので間違ってたら勘弁してちょうだいね。
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凄い上司S 「零戦作りに命を掛けてきた我らはどんなに悔しかったことか・・・そりゃそうだろ、中島飛行機は無くなり今後飛行機は作ってはならんと命令されたのだ。」
「その悔しさを胸に、零戦を作ってきた技術を車作りへ生かすことにしたのだ、絶対に良い車を作ってやろうと誓ったよ。誇りも技術も高かった、当時どこのメーカーでも海外メーカーに技術提供を受けてたが、完全自社の技術だったのは富士重工とプリンス自動車だけだったんだぞ。」
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プリンス自動車も、富士重工も技術はあっても会社の経営には苦労があったのだよね。
オラが入社した頃の富士重工はホントにどん底だったべ・・・
なんたって、主力車種の一部でもあるレオーネクーペは、あまりの不人気に生産中止になるし、
スバルのイメージを一新させるべく斬新なデザインで登場したアルシオーネは、格好悪り~、奇抜すぎる、だれも乗らない車が欲しいならアルシオーネ、
ってなかんじで酷評の嵐だったからね・・・
そんな中、レオーネの後継車種の開発が進められたのだが・・・
「開発コードは44B、もしも、この車が市場に認められなければ、スバルは終わりであろう、・・・」
上層部からの言葉を聞かされて、本当に後がない危機的状況だと思ったもんだす。
しかし、「どんな車出したって、スバルのマークが付いてりゃ売れるわけね~べ。」
そんな声も周りから聞こえて来たこともあったよ。
オラだって正直、売れるとは思ってなかったからね・・・
しかしだよ、発売されるとその車はかつて無いほどの人気となったのだ。
それが、初代レガシーなのだ。
レガシーツーリングワゴンはその後のワゴン車ブームの火付け役になるほど人気車種となり、
どん底のスバルを救ったのだ。
撤退か、プリンス自動車のようにどこかに吸収合併されるのか・・・そんな危機は回避されたのだ。
スバルが不人気地獄の底から這いずり上がることが出来たのは、レガシーあってこそだと思うよ。
零戦を共に作ってきた元中島飛行機として、今後もスバルはスバルらしく、スカイラインは日本を代表するスポーツカーとしてこれからもあって欲しいと思うのだよね。
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凄い上司Sさんの前で行儀良く大人しくしているオラに、先輩が飲み慣れない水割りを濃いめに作って行きやがったすよ・・・
先輩A 「おい!○○!な~に説教くらってんだ!こんないい酒薄めて飲むからSさんに説教食らってるだんべ~。飲め!」
ドボドボドボ・・・
オラ 「あちゃ~・・・」飲まなきゃ失礼だべか・・・
翌週、職場に出社したオラに向かって先輩達がオラを見てニヤニヤしていたのだよね。
オラ 「おはようございま~す」
先輩 「お!噂のご本人の登場だんべ~。いや~、お前笑わせてくれるんな~!」
オラ 「はい?何かしたのすか・・・」
先輩 「なんだ、お前Sさんの家でのこと覚えてね~んか?潰れたお前を担いでくの大変だったんだからな。」
オラ 「すんません・・・途中から記憶が無くて・・・何か失礼なことしなかったすか?」
先輩 「おめ~、ホントめでたいやつだんべ~。Sさんご自慢の絨毯の上でゲロ吐いたことも覚えてね~んか!あの絨毯はナントカ絨毯って言って二百万するって話だぞ、高価すぎてクリーニングしてくれる所なかなか無かったって言ってたんべ~。」
オラ 「う、嘘でしょ!?先輩が無理やり飲ませるから・・・」
半べそかきながら、直属の上司に付き添ってもらい謝りに行ったのだが、凄い上司Sさんは笑って許してくれたすよ。
Sさん、クリーニング代も払わず岩手に戻ったオラを許して下さいませ・・・
あの時聞いたSさんの言葉は今でも間違いなく心に刻んであるすよ。
何故にその話がいくら調べても出てこないのか・・・
スカイラインの名前の由来を調べると、山並みと青空を区切る稜線・・・と、なっているのだ。
設計した本人が言ってるのだから疑う余地のない事実なのだが・・・
GHQの監視のある中、S上司の言ったその由来は伏せられたんだべか?なんて想像してみたりしたけれど、そりゃオラの勝手な妄想でしか無いけどね。
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凄い上司S 「スカイラインとはね、そんな飛行機作りに命をかけた男達の決意と誇りの込められた名前なのだ。」
「〇〇君、お父さんにも伝えてくれないか?」
「本当のスカイラインとはね・・・零戦が大空に描く飛行機雲。そういう意味なのだよ・・・」
オラはその言葉、これからもずっと信じていくつもりなのだす・・・